「お姉ちゃんなんだから」
その言葉を、何度聞いてきただろう。
小さい頃から、泣きたいときに泣けなかった。
寂しいときに「寂しい」と言えなかった。
我慢したくない日も、「下の子なんだから仕方ないよね」と飲み込んできた。
お姉ちゃんなんだから。
下のきょうだいの面倒を見てあげて。
お手伝いして。
心配かけないで。
あなたまで手がかかること言わないで。
そんな空気の中で育つと、子どもはいつのまにか、
「甘えるより、頑張るほうが愛される」
と覚えてしまう。
私もそうだった。
本当は抱きしめてほしい日もあった。
「あなたもまだ子どもなんだからね」と言ってほしかった日もあった。
何もできなくても、機嫌が悪くても、弱音を吐いても、
ただそのままで受け止めてほしかった。
でも、そんなことを言える雰囲気じゃなかった。
だから私は、“いい子”になった。
空気を読んで、先回りして、
頼られる側でいようとした。
下のきょうだいの世話をして、
親の機嫌を見て、
家の中がうまく回るように、自分の感情を後回しにした。
寂しい、つらい、苦しい、悲しい。
そんな感情は、口に出す前に飲み込むのが当たり前になっていった。
気づけば私は、
「迷惑をかけないこと」
「ちゃんとしていること」
「しっかりしていること」
でしか、自分の居場所を作れない大人になっていた。
周りからはよく言われる。
「頼りになるよね」
「ちゃんとしてるよね」
「大人だよね」
「落ち着いてるよね」
でも、本当は違う。
ちゃんとしていたかったんじゃない。
ちゃんとしていないと、愛されない気がしていただけだった。
しっかりしていたかったんじゃない。
しっかりしていない自分を出したら、誰かをがっかりさせる気がして怖かっただけだった。
そうやって大人になった長女は、
恋愛をすると、とても深く愛してしまうことがある。
それは、愛情深いから。
もちろんそれもある。
でも、それだけじゃない。
ずっと我慢してきた分、
ずっと後回しにしてきた分、
ずっと「私も甘えたい」を押し込めてきた分だけ、
たったひとり「甘えてもいいかもしれない」と思えた相手に、
心が一気に向かってしまうのだ。
恋愛の中で、
やっと“お姉ちゃん”じゃない自分になれる気がする。
やっと“しっかり者”じゃなくていい気がする。
やっと誰かの前で、弱くても、泣いても、拗ねても、
見捨てられないかもしれないと思える。
その安心が、たまらなくほしくなる。
だから、好きになると深くなる。
すごく深くなる。
自分でも驚くほど、その人の存在が大きくなる。
LINEの返信が遅いだけで不安になる。
少しそっけないだけで、気持ちが冷めたんじゃないかと怖くなる。
会えない日が続くと、自分がどうでもいい存在になった気がしてしまう。
30代、40代にもなって何をしているんだろう。
こんなに仕事もしてきたし、
人前ではちゃんとしていられるし、
ひとりで生きていく力だってそれなりに身につけてきたのに。
なのに、たったひとりの態度で、
こんなにも心が揺れる。
そんな自分を情けないと思って、さらに責めてしまう。
でも、もしかしたらそれは、
今の恋愛だけの問題じゃないのかもしれない。
今目の前にいる相手を好きになったことで、
ずっと昔から置き去りになっていた寂しさが、
やっと表に出てきただけなのかもしれない。
子どもの頃、言えなかった
「私も見てほしい」
「私のことも気にかけてほしい」
「私も甘えたい」
「私だって苦しい」
そんな声が、恋愛の中で一気に疼き出す。
だから長女の恋愛は、ときどき苦しい。
相手を好きだから苦しい、だけじゃない。
好きになった相手に、
これまでの人生で満たされなかったものまで、
無意識に求めてしまうから苦しいのだ。
安心させてほしい。
大切にしてほしい。
気づいてほしい。
優先してほしい。
置いていかないでほしい。
ちゃんと愛していると、何度でも伝えてほしい。
それはわがままなんかじゃない。
ずっと我慢してきた人の、
ようやく表に出てきた切実な願いだ。
ただ、その願いを自分でもうまく扱えないまま恋愛に入ると、
相手を愛しているのか、
寂しさを埋めてほしいのか、
自分でもわからなくなってしまう。
相手に会いたい。
声が聞きたい。
触れたい。
必要とされたい。
特別だと感じたい。
その気持ちは全部、本物だと思う。
でも同時に、
その愛情の中には、昔の自分の寂しさも混ざっている。
“今この人を好きな気持ち”と、
“ずっと満たされなかった気持ち”が重なってしまうから、
恋愛がただの恋愛では終わらなくなる。
相手の一挙一動に、
必要以上に心が揺れるのはそのせいだ。
大人になった長女は、表面上はとても自立している。
仕事もできる。
人に気を配れる。
頼られることにも慣れている。
家のことも、親のことも、周りとの関係も、
たいてい人よりうまくやってきた。
でもそのぶん、
「本当の意味で誰かに寄りかかること」がすごく苦手だ。
甘え方がわからない。
頼り方がわからない。
弱さの見せ方がわからない。
どこまで求めていいのかがわからない。
だから限界まで我慢して、
大丈夫なふりをして、
平気な顔をして、
ある日突然、心の中だけが悲鳴を上げる。
「どうして気づいてくれないの」
「こんなに頑張ってるのに」
「私ばっかり大事にしてるみたい」
「私はこんなに好きなのに」
でも本当は、相手に気づいてほしいのは、
今の寂しさだけじゃない。
昔からずっと抱えてきた、
“気づいてもらえなかった私”そのものだったりする。
30代や40代になると、
ただ恋愛がしたいわけじゃなくなる。
若い頃みたいに勢いだけでは進めない。
結婚、離婚、出産、親の老い、仕事の責任、
いろんな現実を知った上で、
それでもなお誰かを好きになる。
だからこそ、その恋愛には
「この人といると、もう頑張りすぎなくていいかもしれない」
という願いが入りやすい。
癒やしてほしい。
安心させてほしい。
ひとりで背負ってきたものを、少し下ろさせてほしい。
そんな気持ちがあるのは、自然なことだと思う。
ずっとお姉ちゃんで、
ずっとしっかり者で、
ずっと周りを優先して生きてきた人ほど、
どこかで一度くらい、
“何もできなくても愛される”を経験したいのだ。
でも、その願いを全部ひとりの相手に託してしまうと、
恋愛は救いであると同時に、苦しみの場所にもなる。
相手の愛情が少し揺れただけで、
自分の存在価値まで揺れてしまうから。
会えない、連絡が少ない、優先されない、
それだけで、過去の寂しさまで一緒にぶり返してしまうから。
だから必要なのは、
「恋愛に依存しないようにしよう」と無理に自分を正すことじゃない。
「重くならないように」とさらに我慢することでもない。
そうじゃなくて、
自分の中にずっといた“小さい頃の自分”に、
やっと気づいてあげることなんだと思う。
ずっと頑張ってきたよね。
本当は寂しかったよね。
我慢ばかりしてきたよね。
本当はあなたも、守られたかったよね。
何も背負わずに甘えたかったよね。
その気持ちを、誰より先に自分が認めてあげること。
長女として生きてきた人は、
自分の寂しさに気づくのがとても遅い。
なぜなら寂しさを感じる暇もなく、
“ちゃんとすること”に必死だったから。
自分の気持ちより、
周りが困らないことのほうを優先してきたから。
だから大人になってから、
恋愛でやたら傷ついたり、
誰かひとりに強く執着してしまったり、
「どうしてこんなに愛しすぎるんだろう」と苦しくなるのは、
ある意味とても自然なことなのかもしれない。
それは、あなたが弱いからじゃない。
重いからでもない。
面倒な女だからでもない。
ただずっと、
自分の分の寂しさを置いたまま生きてきただけだ。
そして恋愛は、
その置き去りにしてきた寂しさを、
いちばん表に引っ張り出しやすい。
だからもし今、
誰かを好きになるたびに苦しくなるのなら。
愛しすぎてしまう自分に疲れているのなら。
「もうこの年齢なのに」と自分を恥じているのなら。
どうか思い出してほしい。
あなたは愛し方を間違えているんじゃない。
ただ、長いあいだ甘えられなかっただけだ。
本当は子どもの頃に欲しかった安心を、
やっと大人になってから探し始めただけなんだ。
それは決して、恥ずかしいことじゃない。
むしろ、それだけずっと頑張ってきた証だと思う。
お姉ちゃんだから、と言われてきた人。
しっかりしなきゃ、と自分を奮い立たせてきた人。
家族に心配をかけないように、
自分の気持ちを後回しにしてきた人。
そんな人が恋愛で深く愛してしまうのは、
愛情が重いからじゃない。
これまで誰にも受け取ってもらえなかった寂しさが、
ようやく行き場を見つけただけだ。
そして本当に必要なのは、
誰かひとりにその寂しさを埋めてもらうことだけではなく、
「寂しかった」と言える自分を、
自分で見捨てないことなんだと思う。
これからもきっと、
誰かを好きになれば不安になる日もある。
愛されているか確かめたくなる夜もある。
平気なふりができなくなる瞬間もある。
でも、そのたびに
「私はなんて面倒なんだろう」
「こんな自分じゃダメだ」
と責めなくていい。
愛しすぎてしまうあなたの中には、
ずっとひとりで頑張ってきた子どもの頃のあなたがいる。
その子は、わがままなんかじゃない。
ただ、ずっと我慢してきただけだ。
だからもう、
これ以上その子に
「しっかりしなさい」
と言わなくていい。
もう十分、しっかりしてきたのだから。
これからは少しずつ、
誰かを愛するのと同じくらい、
自分の寂しさにも優しくしてあげたい。
「大丈夫」と言い続けてきた自分に、
本当は大丈夫じゃなかったことを認めてあげたい。
そうできたとき、恋愛はきっと、
足りなさを埋めるためだけのものじゃなくなる。
頑張り続けてきた人生の中で、
ようやく安心して息をつける、
あたたかい場所に少しずつ変わっていくのだと思う。